監督:ジョン・リー・トンプソン

地球時間2670年…猿と人間は…。
ある猿の口から語られたのは…そしてそれは誰に?
あの革命をきっかけとして大都市は次々と壊滅していき遂には核まで使われ、世界は荒廃した土地に成り果てました。
生き残ったシーザー(マイロ)は、生き残りの猿と人間と共に緑を求め旅をするのでした。
そして12年後、ある大地にシーザーを王とした猿と人間が住む小さな町ができていました。
そこでは人間が猿に言葉を教えたりしていたのです。しかしそのような学問よりも力を誇示する方が好きなゴリラ、特にアルドー将軍は人間を嫌いシーザーに反発していました。
猿の未来に頭を痛めるシーザーに提案したのはマクドナルド(弟らしい)。その提案とは両親のフィルムが、破壊された廃墟の中に残されているかもしれないというものでした。
両親のことを知らないシーザー、マクドナルド、知識でいっぱいの猿バージルは禁止区域である滅びた都市へと出発するのでした。しかしそこには辛うじて生き残っていた人間たちが地下深く住んでいました。
ミュータントというよりは病気でおかしくなっているといった方がよさそうな人間は、妙に猿を毛嫌いしているリーダーの号令の元、シーザーたちを攻撃!
なんとか両親の口から地球最後の事件を知ったシーザーたちは、攻撃の手を振りきり猿の町へ戻りました。
やがてシーザーの存在を知った人間たちの攻撃が始まりました。時を同じくしてアルドーが反乱、禁止されていた武器を持ち出し町の人間たちを閉じ込め殺そうとします。混沌としてしまっているこの世界の中…やはり地球は破壊されてしまうのでしょうか…。

ついに最後の話となりました。前作では奴隷の地位にあった猿たちが戦いを始め革命を起す話でしたが、今回はその後一度世界は崩壊し猿と人間が共存しているところから始まります。
しかし猿の中にも派閥ができてしまいチンパンジー&オランウータンとゴリラとの間にも溝が…共存していた人間はともかく、地下に生き残った人間たちも相変わらず理不尽に攻撃的です。
猿同士はいくらいがみ合っても「猿は猿を殺すべからず」という最も大事な掟は守ります。
しかしその掟があるがゆえに「我々は攻撃的な人間とは違う」と言っているのは、結局人間と猿との差別化につながってしまうのではないでしょうか。
それ故にそれが意味を失った時にこそ、両者が歩み寄れるのかもしれません。それはまた別の意味で悲しいことかもしれません。
シーザーが死んで600年後の2670年…この猿の口から語られたことを聞いている者たちを見ていると、おそらく地球を壊滅などしないと信じられそうです。
【一言いいたいコーナー】
・この話には珍しく前の話の出来事が映像付きで語られましたが、コーネリアスとジーラを殺したのがヘリからの弾丸…実際にはもちろん違うのですが、これは誰もちゃんと見ていませんし、こういう少し歪んだ形で語り継がれてしまったのかもしれません…と解釈。
・前作のマクドナルドと知事…両方とも兄と前知事…?なぜなんでしょ。
・アルドー…最後には名前が出てきましたが…コーネリアスの話とはなんだか違う…やはり既に歴史が…それとも同姓同名?
・結局「猿の惑星」はタイムトラベルものの中でもパラレルワールドタイプだったようですね。と信じたい。

1968年「猿の惑星」
1970年「続・猿の惑星」
1971年「新・猿の惑星」
1972年「猿の惑星・征服」
1973年「最後の猿の惑星」

狼刃骸(werewolfさん)の「最後の猿の惑星 (Battle for the Planet of the Apes)」
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何だかんだ言っても全部観てなかなか感慨深かったと思いましたね(^^)
2の出来云々はさておきなんだけど、3の伏線が5の結末で、1にはならない(って言ってる意味が分からなくてすいません)
なかなか良く出来たストーリーだったと思いました♪
昔、猿の惑星って観たと思うけれど、5本観てもちっとも思い出せませんでした。
猿の顔のイメージが強すぎたのかな?
なんだかんだ言ってもシリーズものは一応は全部観ておきたいですよね。(^^;
結局3でお猿が過去に戻って、未来のことを話してしまったので、微妙に未来が変わってしまったのではないかと思います。
結果的には5での未来の方が、人間にもお猿にも期待が持てそうなのでホッとしました。
タイムスリップものの仕組みとしては「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と同じく未来は変化するというもので、未来は変えられないという「戦国自衛隊」「ファイナル・カウントダウン」のようなタイプではありませんでしたね。
思い出せないということは、いつも新しい気持ちで映画を観られるのでとてもいいです。(^^;;