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1823年11月…凍てつくウィーンにある屋敷で自殺をはかった老人アントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)は、精神病棟へ入れられます。やがて彼は神父フォーグラーに、自分は宮廷作曲家であり、モーツァルトを殺したのは自分であると告白を始めるのでした。
若くしてこの世を去った天才音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(トム・ハルス)…彼が自分の前に現れたとき、サリエリは嫉妬にかられ自身の人生を狂わせていきます。悲劇が今始まります。


作品賞、監督賞、主演男優賞などなんとアカデミー賞を8部門を受賞した作品です。
今まで天才と思っていたサリエリの前に当然現れたモーツァルト…彼は天真爛漫で自由気ままに行動をしている若者でしたが、こと音楽の能力に関しては彼をはるかに上回っていました。
彼の前ではサリエリも単なる平凡な男に過ぎません。
おそらくモーツァルトが立派な男であれば彼も嫉妬心をかき立てられなかったかもしれませんが、モーツァルトの行為はサリエリ、そして当時の世界では異質でした。そのために「何故こんな男が自分より天才で…」となってしまったのでしょう。
その嫉妬心はモーツァルトを衰弱死させてしまいますが、モーツァルトがあくまでもサリエリを立場的には尊敬していたことが悲しい。そしてサリエリもまた嫉妬心はあれども、純粋に音楽を愛している男でもありました。ラスト付近ではサリエリの葛藤がよく描かれていてよかったですね。
サリエリの語りになっているためか神の存在の言い回しが非常に多いです。
片や神に認められたい男、片や神に愛されている男。リアルでも何でも成功したり、努力しても報われない人が…前に観た「タイタンの戦い」でも神に愛されていると少々の失敗などは神が帳消しにしてしまうんですよね。(^^; 努力しても報われない場合はやっぱり悲しい。しかし凡人は努力を続けるしか方法がありません。やめると止まってしまいます、でも続けると、たとえ一歩でも「そこ」へ近づけるはず。
ただ、残念ながら私にはちょっとこのテンポは合わなかったかな。(^^;

・天才と呼ばれ、宮廷作曲家として名声を上げた者の末路…ラストの遺体ポイ捨ては本当に恐ろしく物悲しい。
・曲に合わせた舞台の様子が楽しいですね。
【ここは問題かな?】
・この序盤はモーツァルトが死んでから32年経っているようですが、その長い間サリエリは悩み続けていたのでしょうか?
・どうしてあそこまでお金に困っていたのでしょうか?作曲にあれほどてこずっていたのも…奇才であるが故の妥協ができず完璧を目指していたから?
【一言いいたいコーナー】
・よくもわるくもあのモーツアルトの奇声は耳に残りましたね。サリエリもあの奇声を耳にする度に神経が参っていたことでしょう(それはラストシーンでも判りますね)。


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あとでコメントさせていただきます。
いろいろとご心配をかけてしまい申し訳ございません。
ぽつぽつと復活して行きたいと思います。(_ _)
復活おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
待ちに待っていました!
人間、死を覚悟してからじゃないと自分の罪を述べる事はできないのかもしれませんね。
宗教っていうのは幸せな来世や死後の世界の約束だから
死を前にした時でないと悔い改められないのかな。
トム・ハルスは本当に熱演でしたね。
あの笑い声だけでなく、ピアノもすごかったです。
かなり長い間入れず、申し訳ありませんでした。
またよろしくお願いいたします。
なるほど、悔い改めるためにも死の覚悟が必要と言うのは納得ですね。
サリエリもかなり苦しんだのでしょうね。純粋に音楽を愛しているだけに、かなりのジレンマがあったことでしょう。
あの笑い声は、真似できそうにないです。(^^;
ピアノも自分でひいていたところが多かったのも凄いところですね。
トラックバックありがとうございました。
戻ってきてくれて嬉しいです。また映画のお話しましょうね♪
サリエリも私から見たら十分天才なんですが、それでも「なんでわたしでなく彼が・・・」と嫉妬に駆られる心情は共感できますね。でも、出会ってしまったことが不幸、とも言い切れないところが、なんとも狂おしい。
終盤、ふたりで協力するシーンが印象的でした。
>どうしてあそこまでお金に困っていたのでしょうか?
サリエリの策略で庶民の劇場の仕事くらいしか得られなくなったのに、生活は今まで通り派手に馬鹿騒ぎばかりしていたからでしょうか。その苦労の果てに、奥さんは悪妻呼ばわりされてしまったんですね〜。かわいそうに!
いろいろとご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
またよろしくお願いいたします。
サリエリも十分天才でしたね。
おそらくかなりの努力家だったのでしょうけど、それゆえに才能のあったモーツァルトに嫉妬してしまったのでしょう。しかもあの性格でしたから。
二人で曲を作っているところあたり、やっぱりこの人は音楽に対しては嘘のつけない人なんだなーって思いました。
生活にはかなり無頓着だったようですねぇ。
お金がなくてもいつもどおりの生活をしていたのでは、そりゃなくなってしまいますよねぇ。(- -;
初見の折には、あの奇声は面食らいました。私の中で、そういうイメージの人ではなかったですから。
こういう分野って、才能とセンスのバランスもあるんでしょうねぇ。
音感がいいだけでは歌手にはなれないし、演奏技術が素晴らしくても感動を招くとは限らない。
ゆえに天才と呼ばれるんでしょうねぇ。
サリエリは、今なら音楽教授なんかの道があっていたかもしれないですね。
なかなか複雑な心のドラマでもあったように思います。
あの奇声、第一声のときには本当にびっくりで、何が起こったのかわかりませんでした。本当にああいう声を上げていたのでしょうか。(^^;
一つの道を達成しようとしたら、いろいろな方面の才能が必要になるので、全てを満たしている人は天才なのでしょうねぇ。よく努力の天才という言葉もあった、本来はコチラの方が感動を呼ぶのですが、この作品では天才に翻弄される努力の天才だったように思えます。
両者とも音楽を愛していることゆえの複雑なドラマでしたね。
トラックバックありがとうございました。
こちらからもさせていただきますね。
白くじらさんにはこのテンポは合わないと実は私も思っておりました(笑)
私はこの映画でモーツアルトオタクになったので、全てのCDはもちろん、モーツアルトに関する書籍まで読み、恐ろしい散財の道へと走りましたが^^;、天才故の相当の変人だったみたいです。
それを映画で表現するには「あの奇声」が監督の演出方法だったと思いました。
モーツアルトを主人公にしていたら映画は絶対に造れないだろうし作品は破綻します。そこでサリエリを登場させ、対比、苦悩、葛藤を演じさせ結果的に映画は大成功したと思いました。
でも伝記モノを見ると、作曲家や画家等の芸術家は、生きている間に評価される事が少なく死後に「偉大な芸術家」と言われる事が多いですよね。
それが悲しいのですが、だからこそ映画や書籍等の作品になるのかも。
ところで、妻のコンスタンツェの悪妻伝説はモーツアルトファンの色んな作家さんによると相当みたいです。
なぜ一緒に埋葬場に行かなかくて共同墓地にしたのか。(お金がなかったからみたいですが)
一緒に行っていれば後に遺体をきちんと埋葬でき、今の空のお墓ではないとか、死後にモーツアルトの作品が評価された時、コンスタンツェは再婚していたんですが、お金の為にモーツアルト自筆の楽譜を売り飛ばしたとか記載されていましたよ。
申し訳ありませんでした。頂いてから鑑賞まで結構な時間がかかってしまいました。(_ _)
しかも何回かに分けて観てたりして。(^^;
とはいうものの、思ってもみなかった激動の人生で、正直驚きました。
それにしてもそんなにハマられていたとは…書籍まで集めていると凄いお金が飛んでいきそう。
「あの奇声」は本当に特徴すぎるほどの特徴で、いったいどうやって声を出しているのか不思議でした。
サリエリとの対比は確かによかったと思います。凡人ならではの苦悩や葛藤、そしてその奥に音楽を愛する心があったことがよかったですね。
コンスタンツェって悪妻だったんですねぇ。
うーむ、そういう裏話があったなんて…ちょっと見る目が変わりそうです。
作品の売買は、貧乏生活をしてるいると仕方がないのかもしれませんけど、遺品ですし、なんだか切なくなってしまいますね。
貧乏な芸術家の作品は死んでからの方が値打ちが上がっているものが多いですね。本人たちにとってはもう悲劇としか言いようがありません。(>_<)
とにもかくにも、ビデオありがとうございました。
おかげで鑑賞しきりました。