![]() 製作国:アメリカ 監督:クリス・コロンバス 製作:ウォルフガング・ペーターゼン 原作:アイザック・アシモフ 脚本:ニコラス・カザン 撮影:フィル・メヒュー amazon.co.jpで詳細を見る。 |

そう遠くない未来(2005年の設定)、リチャード・マーチン(サム・ニール)は家族を驚かそうとあるものを購入しました。家族の前で重そうなケースから姿を現したのは、人間の形をした家事ロボット、アンドリーNDR114(ロビン・ウィリアムズ)。
得意がるリチャードに対して、あまりのことに家族は不安そう。特にまだ小さい2人の娘は恐れさえ感じ、ロボット3原則に従うアンドリューに窓から飛んでみなさいと落として壊そうとするしまつ。
ある時海岸で、リトル・ミスから受け取ろうとしたガラスの馬を壊してしまったアンドリューは、悲しみ怒る彼女のために木工細工の本を読み、彼女が喜ぶことを考えて馬の彫刻像を作るのでした。
リトル・ミスはとても喜び、彼女とアンドリューとの間にようやく笑いが戻りました。
そのことを知ったリチャードは、作成元のロボティックス社にアンドリューと共に行き、ほかのロボットもこのような自分で考える個性的なロボットなのかと尋ねますが、販売元はそのことをロボット交換、または故障に対する苦情と考え交換しますと言います。
しかしリチャードはアンドリューを返すことはしませんでした。すでにアンドリューは家族に近い存在になっていたのです。
彼はアンドリューの個性を伸ばすために、家事の時間を減らし学習時間を増やすのでした。
時は流れアンドリューは32歳になりました。
表現豊かな表情を持つことができたアンドリューは、人間の歴史を勉強しているうちに自由になりたいと考え始めました。
そのころ家族は、もう彼を家族の一員としていましたが、みなされるのではなく、本当の意味での自由を欲しがったのです。
リチャードはそれを受け入れ彼を自由に…それは命令のない、自分自身で考え生きていくことになった第1歩でした。
こうしてまた時は流れ、リチャードもアンドリューに感謝しながら逝ってしまいました。
アンドリュー72歳、彼は同じNDR114型を捜しているうちに出合った技術者のルパート(オリヴァー・プラット)の力を借り、硬いロボットの皮膚ではなく、人間と同じような皮膚と顔を手に入れました。
久しぶりに寄ったリチャードの家で彼が見たものは、歳をとったリトル・ミスと彼女の孫で、彼女そっくりのポーシャ(エンベス・デイヴィッツの2役)。しかしリトル・ミスは自分が好きだったアンドリューの作った馬を抱いたまま逝ってしまいます。
涙の流せないアンドリュー…。
アンドリューは残されたポーシャと出会い、話をしているうちに彼女を大切なものとして認識し始め、その想いゆえについに完全なる人間になろうと決心するのでした。
しかしそれはアンドリューにもポーシャにとっても辛い年月となったのです。


自由を求め人間になることを夢見る、ユニークな存在のアンドリュー。
彼は自分と出合った人たちの生と死、そして考え方から人間を素晴らしい存在と考え、長い年月をかけて自分を人間に近づけようとします。
はたして人間とはいったい何なのでしょうか。
何があって初めて人間と言えるのでしょうか。
苦悩するアンドリューと何代にも渡る家族との絆は、見ていて目頭が熱くなります。
おそらくロボット3原則の問題もあったのでしょう、人間による迫害もあったのではないでしょうか。
この作品ではそういう話はほとんどありません、あくまでもアンドリューの考えと、家族の考えを軸にして物語が進みます。そのためか非常に人間としての本質に迫るヒューマンドラマになっています。

・最近のいろいろな事件などを見ていると、人間というものはいったい何なのか改めて考えさせられてしまいます。今と同じ時代設定でありながら、こんな世の中では人間にあこがれるアンドリューも現れなかったでしょう。
・ロボティックスの人間はロボットを家電と考え、家族にとってはかなり嫌な存在で、アンドリュー回収に向けて何かするのかと思いましたが、そういうこともなかったのにはちょっとびっくり、でもない方がその作品にはよかったと思います。
・ロボット3原則は最初にちらっと出ただけでどこかで撤廃もされたようです。最後のガラテアの行動とか見ているとね。
・アトムでも市民権を獲得するロボットが出てきましたが、獲得した瞬間、そのロボットは群集によってバラバラにされるという悲惨な結末が待っていました。
彼を守ろうとしたアトムも、3原則に従いその場に立ちすくむのみ、こちらは悲しい話でした。

RETRAの奇妙な映画館(りとらさん)の「アンドリューNDR114 Bicentennial Man(1999年)」
RISING STEEL(バーンズさん)の「アンドリューNDR114」
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ロボット三原則、懐かしい響きですね^^
今は「攻殻機動隊」などで、ロボットと人間の境界が
曖昧になってしまった時代の話を取り上げており、
この問題も一歩先に進んでいるようです。
アトムのようなロボットがもし存在したら、当然人権は
与えられて然るべきでしょう。
しかし、そうでないロボットとの間の一体どこに
境界を引くのか、これもまた難しい問題ですね…。
これはオススメします。ぜひ一度どうぞ。
ロボット三原則は最近(?)では「アイ・ロボット」で扱われていましたね。ちょっと反則気味でしたが。(^^;
「攻殻機動隊」とかだとサイボーグも出ているので、境目が曖昧になってきているかも。最近は読んでいないのですが、純粋なロボットに関してもなのかな。
アトムの世界は三原則がきちんと合ったがゆえに、ロボットたちの悲惨な話が多かったように思えます。
この作品でもロボットと人間の差はいったいどこにあるのかと言うことが取り扱われていて、いろいろと考えさせられる作品でした。
アイ・ロボットより、見やすかった。
初見の時は、単純に泣いてしまいましたね。
アトム…大好きでした。
最終回、観てないんですよ。だいたいの話は、知ってるんですけど。マンガの方は、立ち読みで読んだことがあります。
ロボットが、人間と生きていくのは、未来への課題ですねぇ。
コメントが遅くなり、申し訳ありません。出張に行っていました。
私もこの作品はもうぼろぼろと泣いてしまいました。
いい作品でした。
アトムに関しては、一応の最期としては、地球を救うために核融合阻止装置を抱えて太陽に飛び込むシーンで終わっています。
ただこれはファンにとっていったいどうなってしまったのかと言う疑問を投げかけてしまい(私は別にいいと思うのですが)、サンケイ新聞に連載された時に、イナゴそっくりの宇宙人が溶けたアトムを修理してくれて復活ということになりました。
ただ…この話はまとめられたときに、最初をばっさりと書き直されて、ごく普通にアトムが生きているところから始まっちゃうんですけどね。
別の終わりとしては「アトムの最後」という作品で、若いカップル(実はいろいろと問題あり)を守るために飛び立ち破壊されてしまうシーンがあるのですが、実はまったく救いようがない作品で、手塚治氏自体も嫌っているとか。
何かを訴えているのか考えても、考えること自体、曲解するのではないかと思ってしまいます。
人間とは何か?
人間とロボットに違いはあるのか?
色んな事を考えさせられた映画です。
アンドリューは人間より人間(の良い所)らしいロボット。
こうなったら、人間とロボットの違いなんて、
有機質と無機質ぐらいなモノ。
レビューを読んで、また久しぶりに観たくなりましたw
同じ意志を持ったロボット映画、
『ショート・サーキット』も好きですw
そうですねぇ、私もこりれは名作だと思っています。
人間であることの定義っていったいなんだろうと考えさせられる作品でしたね。どうすれば人間として認めてもらえるのか、人間のことをこれほど考えたアンドリュー以上に、人間のことを考えた人間っていないのでは?と。
「ショート・サーキット」も好きな作品です。
こちらはコメディ要素たっぷりですが、やはりアンドリューと同じ問題を抱えていましたね。最後のオチを間違うシーンなんて最高です。(^^)
ロボットが主役の場合、人間のほうがいろいろな面で理解してないのでは?
って思えてきます。あえて、そういう演出にしているのでしょうけど。
最近では「チャッピー」という作品もありましたね
逆に敵になった時は、本当に無慈悲で冷酷になりますね
ちょっと混乱するんですが
「ブレードランナー」のレプリカントはロボットやサイボーグではなく
クローンみたいに作られた人間なんでしたっけ?
あれも人間とは何かを考えされられる作品ですね
どうしてもロボット主役の場合、ロボット側に感情移入してしまいますから、人間側の対応にイライラしてしまうことが多いですよね。
「チャッピー」も利用する人間によって、全然変わってしまいましたね。可哀想な話です。
「ブレードランナー」のレプリカントは、私もよく分からないのですが、人間そっくりに作られた人造人間で、人間であるかどうか調べるだけでも相当時間がかかっていたようですね。