![]() 製作国:アメリカ 監督:シドニー・ルメット 製作:レジナルド・ローズ 原作:レジナルド・ローズ 脚本:レジナルド・ローズ 撮影:ボリス・カウフマン 音楽:ケニヨン・ホプキンス amazon.co.jpで詳細を見る。 |

ニューヨーク、6日間に渡って続けられていた第1級殺人の審理が今終わりました。
被告は18才の少年で、有罪となると電気椅子での処刑が待っていました。評決は12人の陪審員(14人いましたが2人は補欠で帰ります)に委ねられ、彼らは別室での検討に入りました。
彼ら陪審員は郵便で通告された市民たちで、株のブローカー(No.4:E・G・マーシャル)、宅配便の社長(No.3:リー・J・コッブ)、はやく終わらせてヤンキース戦に行きたがっているセールスマン(No.7:ジャック・ウォーデン)、時計屋(No.11:ジョージ・ヴォスコヴェク)など様々な人間たちがいました。
12人はそれぞれの番号の席に付き、学校のフットボールコーチをしているNo.1の男性(マーティン・バルサム)を議長に、まず決を取ることにしました。おそらく誰もが有罪に決定されるであろう結果は、1票の無罪によってこの部屋を議論の場と変えました。
無罪としたのは建築家No.8(ヘンリー・フォンダ)でした。
彼は言います。
話し合いましょう。
評決には12人全員の意思統一が必要でした。
こうして1対11の無謀にも思える議論が始まるのでした。

1957年「十二人の怒れる男」
1957年「十二人の怒れる男(再)」
1997年「12人の怒れる男 評決の行方」


陪審員は裁判が終わった後、嘘と事実を見分けるのが仕事です。無作為に郵便で通告を受けた人たち、被告の少年とはまったく関係のない人が彼の運命を決めることになります。これは民主主義の素晴らしいところでもあり、逆に怖いところでもあります。
人の運命を決めるにはあまりにも軽くこの事件を考えている人たち、殺人事件に当たったから運がいい、スラムの少年を頭から毛嫌いしている人、さっさと終わらせて野球に行きたい人、笑いをとることしか考えず表面的なことしか見ていない人、まじめに考えている人もいます。
作品中彼らはそんな一般の人たちの代表者であることを示すように番号、もしくは「お前」「貴様」などで呼ばれます。
ヘンリー・フォンダが演じる建築家の男No.8は、有罪と思えても少なくとも「18才の少年の運命を5分という短い時間で」決めることはできなかったのです。そのため、確固たる疑問がないにも関わらず彼は無実を主張しました。
彼に賛同してNo.9のお爺さんも、同じく議論を続けるために無実に手を上げます。
やがて1つ1つの証拠に対して分析し議論を続けることによって、何点かの疑問が浮かび上がってきます。
しかしそれはどうしても推測の域を出ることはありません。No.3が言っていたように事実を都合のいいように捻じ曲げている可能性もあります。しかし、筋が通った疑問があれば被告を有罪にしてはならないのです。
少年はホントは有罪かもしれません、しかし疑問がある限り有罪にしてはならないのです。
議論するときにしてはならないのは、個人的感情で動いてはならないことです。
しかし偏見というものは心の奥底で闇のように沈殿しており、またそれがあるのが人間です。しかしそれが普通だとは思わずに、排除する努力、それが人間には必要なのだと思います。

まだ見たことのない方はオススメです。
【一言いいたいコーナー】
・あまりこういう人間の本質に関わる作品でのパロディは心が痛みますね。
・日本語吹き替えも入っていてそれが昔観たTVと同じ吹き替えだったのも嬉しかったです。

レンタル放題。(はちさん)の「◎「十二人の怒れる男」」
Allyのひとりごと(Allyさん)の「12人の優しい日本人」
シネマ・イラストレイテッド(Mardigrasさん)の「十二人の怒れる男」
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やはり小さい時にTVで見ました。
筋も何も知らずに見たので、最初無罪だと言っても「なんで無罪?わからなーい。」と思う感じで、説明過多、サービス過多の日本のドラマしか見てなかったご幼少のみぎりの私は釈然としてなかったのですが、ぐいぐいと引き込まれていった記憶があります。
そして途中で経過報告の様なシーンありませんでした?
そのシーンで表決が出ない、終われないのは「一人だけ無罪を主張しているから」みたいなシーンなかったでしたっけ?
暗に非難をされたり、はっきり不満を言われたり・・・
その時のヘンリーフォンダの表情・・・
子供心に、こんな事言われてそれでも私は自分の正しいと思った事を曲げないでいられるだろうか。と思った事も思い出しました・・・
・・・うん。しっかり頑固者になってます♪ (ぉぃ
それにしても、派手なシーンなしとか、セリフ無しで気持ちが伝わるって演技を見るのは、これぞ芝居を見た!って感じで感心して嬉しくなります。
コレとっても面白かったんです。
白黒で密室で討論だけで。
結果は予想通りでした。間逆の結論!!
このリメイクで三谷監督の「12人の優しい日本人」っていうのも
観ましたが、本家が良すぎた為観てても熱が入りませんでしたゎ。
ヘンリー・フォンダが良かった。。。
普段司法の場とは縁遠い所にいる僕は、この作品を見ることで本当に色々な部分で触発されました。
単純な勧善懲悪でないところが深いと思います。
「もし犯人が白人で、大人だったらどうなっていただろう…?」
意地の悪い見方かも知れませんが、そう考えずには
いられませんでした。
法のシステムは、理想と現実の危ういバランスの上に成り立っています。
司法が道徳を失えば暴走しますし、市民が現実に対する責任を失えば崩壊してしまいます。
凶悪犯は死刑を廃止した州に逃げ込むことが当たり前になっているアメリカ。
アメリカでは死刑相当の犯罪者の引渡しを拒否するフランス。
日本では、凶悪犯罪の厳罰化が叫ばれる中、一方では刑務所の不足は年々深刻化しています。
問題が山積する中、新たに始まる裁判員制度…。
まさに今我々が見るべき作品なのかもしれません。
出張先でも携帯からは観ていたのですが、コメント打つのは大変なので。(_ _)
割とよく中休みは取っていました。
休み中はトイレや窓の近くでも話し合いがあり、話しているうちにヘンリーフォンダに賛同する場合もあったようです。議論のときだけが人を説得できるチャンスではない。とはいうものの説得と言うほどでは。(^^;
このまったく派手さのないいわば地味というような感じなのに、この緊迫感を出す演出には驚きました。
また細かいことをまったく判っていない私たちにも少しずつ事件の概要が判ってくるというところもよかったです。この事件の内容が判らないということで観ている方も有罪か無罪か判断が下せず、状況を見守ることになり、それが観客を引く込ませる要因にもなったのではないかと思います。
私も最初は子供のころだったのですが、面白かったですね。
結果は私も無罪になるのではと思ったのですが、そこまでの過程、圧倒的不利な状況で、どう覆すのかがうまく出来ていました。
しかも無罪の理由が証拠があるわけではなかったりするのにも驚きました。まさしく疑わしきものは罰せずの世界でしたね。
「12人の優しい日本人」は私も…ちょっと…。
同感ですね。
犯人が別の人物像であったら、裁判もきちんとされていた可能性もありませすね。
犯人はどうしても法を潜り抜けようとしますが、その法をつかさどる人たち自身が信用に値しないようなものであれば、何の意味もありません。
最初からまじめに考えている人も多かったのですが、呼び出されてどうでもいいと思っている人もいるのには驚きでした。
陪審員制度は無作為に選ばれるからこそ平等といわれていますが、真剣に考えない人まで選ばれると意味ないですね。(- -;
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