1982年(8 MASTERS) 製作国:香港 監督:ジョセフ・クオ |
その日、立会いが行われました。
挑戦状を出したのは棒を得意とする仇英豪、片や剣の柳公延…柳公延は身体の不調のために戦いを延ばすよう願いますが、仇英豪はそれを許さず戦いは始まりました。その結果、仇英豪は死んだ振りをして柳公延を倒しますが、その仇英豪もまた傷付き倒れるのでした。
八大門派の1門であった柳公延が卑怯な方法で倒されたため、残りの八大門派は仇英豪を倒すため家を襲撃しました。
その直前に、以前仇英豪に助けられたという趙世恩の手で、1人息子である少捷は少林寺へ預けられました。少林寺で修行をする少捷は趙の最期の言葉から恨みを忘れ、ここを下山したら母親を捜し、趙の娘を捜し出し恩に報いることを誓うのでした。
20年近くが過ぎました。
高僧にまもなく下山するようにとを告げられた少捷(カーター・ウォン)は、世の中は荒み荒れているので下山したくはない、このまま仏門に入りますと言いますが、高僧はあきれ果ててお前は恩を返すのではないのかと怒られます。
我に返った少捷は銅人に挑戦し、少林寺卒業の証を手に入れます。そして下山して母親と趙の娘のために生きることを約束し、高僧が言った「慎重・忍耐・寛容」の言葉を胸に下山していきました。
しかし母を捜し出し趙の娘明珠と出合った彼を待っていたのは、あの時の復讐を息子にしようとしていた八大門派からの挑戦状だったのです。断っても執拗に挑戦状を付きつけてくる八大門派に、彼はとうとう山に逃げ出しました。しかし母親が捕まり、さらに彼を救うために自害したとき、ついに少捷の忍耐も限界に達したのです。
彼は白装束を身にまとい、八大門派との戦いの場へ向かうのでした。
1981年「少林寺への道 十八銅人」
1981年「少林寺への道2 十八銅人の逆襲」
1982年「少林寺への道3 八大門派」
1984年「少林寺への道4 ラマ僧の復讐」
「少林寺への道」シリーズ、第3弾!!もちろん話になんの繋がりもないのですが、なんとこの作品の序盤、趙世恩の手により戦いながら少林寺に行くシーン、子供のころの修行のシーンが「少林寺への道」と同じファルムの使い回しなのです。そして問題のセリフが180度違うのです。つまりここです。
1「目的は父の仇うち、そしてまだ見ぬ小竜を守るため」
3「恨みは忘れて、母を捜し、趙の娘に恩返しをするため」
今回のセリフは少林寺らしいセリフですが、少捷はそれすら忘れて、修行半ばで仏門に入りたいと言い出します。
まず目を剥くシーンですが、なんとも言えないシーンはさらに続きます。
下山後、食べ物屋でチンピラにぼこぼこにされている老人と娘を助けに行きかけ、その脳裏に浮かぶのは「慎重・忍耐・寛容」…座ります。でもまた立ち上がろうとして…また座ります。でもまた…ってこれは慎重でもなければ忍耐でもないでしょう、早く助けて上げてください!!
八大門派も彼と戦うために結構律儀に挑戦状を受け取らせようとしますが、断る少捷を殴るの蹴るの滅茶苦茶、それでいて挑戦状を受け取れと迫ります。そこまで半殺しにしていたらもういいような気がしますが…武道家たる者、武術で討ち負かしたいのでしょうかねぇ。でもそれまでの過程はちっとも武術家らしくないですねぇ。
その後、戦いが終わったあとなぜか少捷は少林寺に…母は死にましたが趙の娘と柳の娘には多大なお世話になりつつも…「このご恩は来世で返そうと思います」…な、なにー!!
前半は銅人との戦い、中盤はなにせ主人公が戦わないので少し欲求不満になりそうですが、その分後半は八大門派との連戦です。
最後の黒先生との戦いの時は、銅人のキョンシー版みたいなのもあっていろいろと楽しい作品でした!
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